ロト7抽選番号一覧(第1〜第163回:2016年6月3日抽選まで)

ロト7抽選番号一覧を作ってみた。第1回〜第163回(2016年6月3日抽選)の本数字とボーナス数字の一覧である。

みずほ銀行のホームページに行けば閲覧できるが,データ解析をするためには,みずほ銀行のデータのままでは扱いにくい。

なお,エンコーディングはUTF−8である。

ロト7抽選番号一覧一部
ロト7抽選番号一覧一部

ロト7抽選番号一覧ダウンロード: ロト7抽選番号一覧.csv

ロト6抽選番号一覧(第1〜1078回まで)

ロト6抽選番号一覧を作ってみた。第1回〜第1078回(2016年6月9日抽選)の本数字とボーナス数字の一覧である。

みずほ銀行のホームページに行けば閲覧できるが,データ解析をするためには,みずほ銀行のデータのままでは扱いにくい。

なお,エンコーディングはUTF−8である。

ロト6抽選番号一覧イメージ
ロト6抽選番号一覧イメージ

データはCSVデータにした:ロト6抽選番号一覧.csv

エクセルによりファイルを開いた際に文字化けの可能性があるためエンコーディングをShift-JISとしたデータも掲載する。

Shift-JISデータ:ロト6抽選番号一覧_S-JIS

自分なりに解析はしてみたが,次の当選番号を当てるのは無理なことだけはわかった。

データ解析をご自由にどうぞ。

困った「自転車文化」について

多くをいう必要はあるまい。

クルマを運転すると人格が変わるが,日本では自転車に乗っても人格が変わる。困ったものだ。

道路右側逆走,歩行者道路で(ホコ天)の運転(降りて押すのがマナーというかルール),自転車レーンがあるのに歩道走行。
さらに,よく見かけるのが歩行者信号無視。ホコ天での自転車運転は危険行為と断言できる。

老若男女,スポーツ自転車・ママチャリ問わず。スポーツ自転車の歩行者信号無視は,しばしば怒りを覚える。

自転車の道交法軽視は,もはや,無視といっても良いであろう。つまり,道交法への関心がなく,違反をしているということである。大人の場合,おそらく,自動車運転免許を持っている人がほとんどのはずであるが,自転車に乗るとそんなことを忘れたかのように,道交法無視を行う。

別に,二段階右折をしろとまでははいわないが,右側逆走とかホコ天での自転車運転とかは,危険であるので,止めて欲しい。

少し実例を示す。プレイバシーの問題はあるが道交法違反の現行犯であるから,そんなことは無視する。ここに示すような実例は,街を30分も歩いていれば幾らでも見かける,極めて普通のことになってしまっている。

自転車に乗ると「道交法は他人事」となってしまっているようにしか思えない。

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右側逆走例1
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右側逆走例2
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歩行者信号無視・逆走右折1
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歩行者信号無視・逆走右折2
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歩行者信号無視・逆走右折3
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歩行者用道路自転車運転(ホコ天運転)
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自転車レーン(青いレーンが自転車レーン)無視・歩道走行1
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自転車レーン(青いレーンが自転車レーン)無視・歩道走行2
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自転車レーン無視・歩道走行3
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自転車レーン無視している運転者と自転車レーンを走行している運転者の対比

 

『日本会議の研究』を読んだ記録

「菅野完著 日本会議の研究 (扶桑社新書)』を読んだ。これは,その記録である。

私にとっては,困った本である。何が困ったかというと,

1.私はベストセラーといわれる類の本はほとんど読まない(ロングセラーは読んだりするし,文庫になってから読んだりもするが,時事問題を扱うベストセラーは基本的に読まない)。

2.私は,徹底した「無神論者」である。無宗教ではなく,「無神論」である。では,唯物論者かというと,そんなことはない。ただ,神話や奇蹟や「ありがたい話」の類を信じない。神話を「過去の事実」の伝承としては捉えるし,無神論者とはいえど,世間常識の範囲での宗教的儀礼に反することもない。ただし,個人として何かに「帰依」するなどということない。私の散歩コースに小さな神社がある。そこは静かで落ちつているので境内を通る。しかし,鳥居の横から入って・出る。鳥居から入ると,結界に入ることになるからである。もちろん,「お参り」することはない。これは,神社だけではなく,寺院や教会であっても同様である。

このような私に,日本会議の研究という著作は,とても居心地が悪いのである。しかし,なぜ読んだかというと,「政治」の本だと思ったからである。

著者は「はじめに」において,「安倍政権の暴走が止まらない。」と記し始める。

しかし,この本は,「政治(まつりごと」の背景に「宗教(祭祀)」があると書いてある。そして,「安倍政権の暴走」は宗教の影響であるとの論旨になる。

これは,個人的に困ったことだ。「神様」とできるだけ縁遠い生活をしようとしている私に,「税」,「社会保障」,「仕事」その他もろもろ生活のすべてに関わる時の政権が「神様」の影響下にあると主張する論旨なのである。

その宗教とは「生長の家原理主義」であり,それが「日本会議」の本質であるというのが本書の論旨である。日本会議を構成する人々の詳細な記述があるが,それは本書を読んで頂くのが良いであろう。本書によれば,「生長の家」は政治活動を停止しているので,「生長の家原理主義」は別の宗派ということである。ここは注意を要する。

著者の記述を引用すれば日本会議の考え方は「天之御中主神→天照大御神=天皇→谷口雅春(生長の家教祖)」(p. 291)となるものらしい。こういう考え方の団体が,時の政権に強い影響力を有しているというとは,税制においても,社会保障においても,「身内ではない人」には居心地が良くない社会である。

著者は「はじめに」において,「日本は右傾化した」のかということに「果たしてそうか?」と疑問を提示する。その疑問が本書が執筆された動機であろう。

そして,著者は「一群の人々」による市民活動によるものだと結論付けている。その一群の人々を書いてあるのが,本書である。その影響下にある人たちが政権の中枢にいるのである。

本書は70年安保闘争の頃の,左翼活動と民族派活動(つまり右翼)の闘争に現状の原点があるとする。今の安倍政権の動きを理解するためには,そこまで遡らなければ理解できないということである。

しかし,私は,もっと昔まで遡らなければならないような気がする。少なくとも,明治維新前の「尊皇攘夷派(長州藩を中心とするが)」と「開国派(徳川家)」による内戦までである。歴史を知っている我々は,結果的に尊皇攘夷派が勝ったものの,結局,尊皇は残ったが攘夷は捨てて,開国してしまい,なんとも世界的にチグハグな国の日本ができた。本来は地方分権社会であり,特定の宗教が特権を有していかなった国が,突然,中央集権・国家神道という「お上」の押し付け国家になったのである。

押し付け国家は,第二次世界大戦において,「無条件降伏」というしてはならない失敗を犯す。

しかし,本書(日本会議の研究)を読む限り,一群の人々は,「無条件降伏」の結果である「日本国憲法」の成立過程に異を唱えているようだ。つまり,自分たちが信じる「神」の国が,犯した「罪」を罪と思っていないように思われる。

そして,これが偶然かどうかわからないのであるが,安倍晋三氏は,山口県選出の国会議員である。自らを長州出の「総理大臣」という人である。

日本会議が安倍政権を利用しているのか,安倍晋三氏が日本会議を利用しているのか,どちらなのかわからない。

しかし,明治政府や大日本国憲法が,その後の日本の破滅の基になったのである。それを「美しい国」とかいわれても,困るのである。

安倍政権に関しては,書きたいことは他にたくさんもあるが,この記事は,本書を読んだ記録にとどめておく。

最後に,本書は労作である。もし,続編が執筆される機会があるのであれば,是非,日本会議の「財務状態」について詳しく記述して欲しい。金の流れを知ることが,組織や人を理解する上で最も有効であると思うからである。

映画『殿,利息でござる!』を観た記録

映画『殿,利息でござる!』を観た。それだけの記録である。

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『殿,利息でござる!』半券

観たのは,ユナイテッドシネマ南古谷。このシネマコンプレックスは,ありがたいことに,いつもゆったりと映画を観ることができる(言い換えると,混雑していない)。ましては,平日の昼間である。かつ,会員デーとかで,¥1,000で見ることができた。

映画の紹介は,世間にたくさん流れている。

感想というほどのものではないのであるが,途中から,

「この映画,キャストを入れ替えてみらた,どうなるんだろうか?」と,思いながら観ていた。

シナリオや演出,そして,出演者もそのままにして,俳優さんたちの「役」だけを変える。例えば,瑛太さん,妻夫木聡さん,そして,松田龍平さんの役を入れ替える。阿部サダヲさんと寺脇康文さんの役を入れ替える。

それを想像してみると,同じ映画が成り立ちそうなのである。

他の俳優さんたちの年代に合わせて入れ替えても同様である。

ストーリーやシナリオがそんなに面白いとも思わなかった。しかし,映画は楽しいし面白い。お芝居が面白いのである。俳優さんたちの,まさしく『競演』というべき映画である。

「競演」を強く感じるのが,「主演女優」の竹内結子さんのお芝居だ。竹内さんの役は,竹内さんである必要がない。どんな女優さんでも構わなそうである。しかし,「気っ風の良いオンナ」の竹内さんが,とても良い。

一つ間違えると飽きてしまうようなストーリーをシナリオやセットではなく,「お芝居を見せる」映画によく作りこんだものだと思って観た。