『日本会議の研究』を読んだ記録

「菅野完著 日本会議の研究 (扶桑社新書)』を読んだ。これは,その記録である。

私にとっては,困った本である。何が困ったかというと,

1.私はベストセラーといわれる類の本はほとんど読まない(ロングセラーは読んだりするし,文庫になってから読んだりもするが,時事問題を扱うベストセラーは基本的に読まない)。

2.私は,徹底した「無神論者」である。無宗教ではなく,「無神論」である。では,唯物論者かというと,そんなことはない。ただ,神話や奇蹟や「ありがたい話」の類を信じない。神話を「過去の事実」の伝承としては捉えるし,無神論者とはいえど,世間常識の範囲での宗教的儀礼に反することもない。ただし,個人として何かに「帰依」するなどということない。私の散歩コースに小さな神社がある。そこは静かで落ちつているので境内を通る。しかし,鳥居の横から入って・出る。鳥居から入ると,結界に入ることになるからである。もちろん,「お参り」することはない。これは,神社だけではなく,寺院や教会であっても同様である。

このような私に,日本会議の研究という著作は,とても居心地が悪いのである。しかし,なぜ読んだかというと,「政治」の本だと思ったからである。

著者は「はじめに」において,「安倍政権の暴走が止まらない。」と記し始める。

しかし,この本は,「政治(まつりごと」の背景に「宗教(祭祀)」があると書いてある。そして,「安倍政権の暴走」は宗教の影響であるとの論旨になる。

これは,個人的に困ったことだ。「神様」とできるだけ縁遠い生活をしようとしている私に,「税」,「社会保障」,「仕事」その他もろもろ生活のすべてに関わる時の政権が「神様」の影響下にあると主張する論旨なのである。

その宗教とは「生長の家原理主義」であり,それが「日本会議」の本質であるというのが本書の論旨である。日本会議を構成する人々の詳細な記述があるが,それは本書を読んで頂くのが良いであろう。本書によれば,「生長の家」は政治活動を停止しているので,「生長の家原理主義」は別の宗派ということである。ここは注意を要する。

著者の記述を引用すれば日本会議の考え方は「天之御中主神→天照大御神=天皇→谷口雅春(生長の家教祖)」(p. 291)となるものらしい。こういう考え方の団体が,時の政権に強い影響力を有しているというとは,税制においても,社会保障においても,「身内ではない人」には居心地が良くない社会である。

著者は「はじめに」において,「日本は右傾化した」のかということに「果たしてそうか?」と疑問を提示する。その疑問が本書が執筆された動機であろう。

そして,著者は「一群の人々」による市民活動によるものだと結論付けている。その一群の人々を書いてあるのが,本書である。その影響下にある人たちが政権の中枢にいるのである。

本書は70年安保闘争の頃の,左翼活動と民族派活動(つまり右翼)の闘争に現状の原点があるとする。今の安倍政権の動きを理解するためには,そこまで遡らなければ理解できないということである。

しかし,私は,もっと昔まで遡らなければならないような気がする。少なくとも,明治維新前の「尊皇攘夷派(長州藩を中心とするが)」と「開国派(徳川家)」による内戦までである。歴史を知っている我々は,結果的に尊皇攘夷派が勝ったものの,結局,尊皇は残ったが攘夷は捨てて,開国してしまい,なんとも世界的にチグハグな国の日本ができた。本来は地方分権社会であり,特定の宗教が特権を有していかなった国が,突然,中央集権・国家神道という「お上」の押し付け国家になったのである。

押し付け国家は,第二次世界大戦において,「無条件降伏」というしてはならない失敗を犯す。

しかし,本書(日本会議の研究)を読む限り,一群の人々は,「無条件降伏」の結果である「日本国憲法」の成立過程に異を唱えているようだ。つまり,自分たちが信じる「神」の国が,犯した「罪」を罪と思っていないように思われる。

そして,これが偶然かどうかわからないのであるが,安倍晋三氏は,山口県選出の国会議員である。自らを長州出の「総理大臣」という人である。

日本会議が安倍政権を利用しているのか,安倍晋三氏が日本会議を利用しているのか,どちらなのかわからない。

しかし,明治政府や大日本国憲法が,その後の日本の破滅の基になったのである。それを「美しい国」とかいわれても,困るのである。

安倍政権に関しては,書きたいことは他にたくさんもあるが,この記事は,本書を読んだ記録にとどめておく。

最後に,本書は労作である。もし,続編が執筆される機会があるのであれば,是非,日本会議の「財務状態」について詳しく記述して欲しい。金の流れを知ることが,組織や人を理解する上で最も有効であると思うからである。

「興亡の世界史『アレクサンドロスの征服と神話』」を読んだ記録

図書館から「森谷公俊著,興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話 (講談社学術文庫)(文庫版2016/2)」を借りて読んだ。

買って読みたいところであるが,興亡の世界史シリーズは21巻もある。何が書いてあるのかわからないし,とりあえず,借りてみたというところである。

これは,それを読んだ記録である。

結構時間を要した。それは,知らない時代であるからである。400頁もある知らないことを読むためにはに,それなりに時間を要する。

本書から読み取った要点は,以下の2点である。

[1].アレクサンドロスはギリシャ文明を東方に広めるきっかけを作ったと言われるのであるが,そうであるか?,と,いうこと。

{2].ヘレニズム文化は,東洋に影響したといわれるが,これについてもそうであろうか?,と,いうことである。

では,高校の教科書はどうなっているであろうか?

詳説世界史B 81 世B 304 文部科学省検定済教科書 高等学校 地理歴史科用を基に少し考えてみる。

上記の教科書において,アレクサンドロスに関する記述は,数ヶ所に分散して記述されている。

(1)第1章オリエントと地中海世界 第1節古代オリエント社会 古代オリエントの統一(pp. 23-24):前330年にアケメネス朝ペルシャがアレクサンドロスに滅ぼされた記述がある。

(2)第1章オリエントと地中海世界 第2節ギリシャ文明 ヘレニズム時代(pp. 35-36):アレクサンドロスの遠征とその後のヘレニズム時代の記述である。ここで,重要なことは,以下の2点である。

・アレクサンドロス大王は,これまでのギリシャ諸国の争いにたびたび干渉してきたペルシアをうつため(中略),東方遠征に出発した。

・大王の東方遠征から,もっとも長く存続したプトレマイオス朝エジプトの滅亡(前30年)までの300年間を,ヘレニズム時代と呼ぶ。

(3)第2章アジア・アメリカの古代文明 第1節インドの古典文明 統一国家の成立(p.56):アレクサンドロスがインダス川まで到達し,各地にギリシャ政権が誕生した。しかし,マウリヤ朝のチャンドラグプタ王(在位前317〜前296)はインドからギリシャ勢力を一掃した,と,記述している。

(4)第2章アジア・アメリカの古代文明 第1節インドの古典文明 クシャーナ朝と大乗仏教(p.57-58):紀元後1〜3世紀のクシャーナ朝は「ヘレニズム文化の影響」を受け,ガンダーラ美術を発展させたとしている。

ここで,留意すべきは,マウリヤ朝成立からクシャーナ朝までの間に300年以上の時間があることである。

さて,興亡の世界史 アレクサンドロスの征服と神話 (講談社学術文庫)に戻ろう。

著者は,上記の世界史の記述に対して,以下のように記述する。

19世紀以降の欧州におけるアレクサンドロス像として,

「こうして世界帝国,東西融合,人類同胞などといった高邁な目的と理念がアレクサンドロスに与えられ,大理想の実現に邁進し志半ばで倒れた若き天才という英雄的イメージが創造されたのである」(同書 p. 41)。

これは,ギリシャ文明がペルシアをはじめとする東洋文明に対して優位にあるという世界観に基づく。この考え方は,日本の高校教科書に影響しているため,「東方遠征」と記述されている。しかし,著者は,「征服」であったしているのである。

アレクサンドロスの父であるマケドニアのフィリッポ二世の時代まで,ギリシャ諸国は,ペルシアに巧みに操られていた。戦争の資金援助さえ頼っている。すなわち,紀元前4世紀前半においては,ペルシアの方がギリシャに優っていたのである。

そのことを著者は,アレクサンドロスがアケメネス朝を滅ぼした後に,ペルシア式の装束や儀式を導入したということにも示している。アレクサンドロスがギリシャ文明が,東洋(ペルシア)よりも優れいると真に思っていれば,現代のアメリカのように自国の文化を広めることに力を注いだであろう。しかし,実際には,そうではなかったらしい。

アケメネス朝ペルシアの領土は広大である。東はインド西部(インダス川)から今のイラン,イラク,シリア,トルコ,エジプトにまで及んでいる。アケメネス朝ペルシアはすでにミドルワールド(イスラームから見た「世界史」参照)に広大な帝国をすでに築き上げていたことになる。

欧州人の多くの人にとって,キリスト教とギリシャ文明は,いわゆるアイデンティティを構成する重要な要素であろう。ギリシャ文明は,古代文明の中でも特に優れていた,と,考えられることは,好ましいに違いない。

そして,現代を支配している日本を除くG7といわれる6カ国はそのアイデンティティを共有しているであろう。しかし,今,彼らが闘っているイラクやシリアにあった古代文明の方が優れていたとしたら,どう思うのであろうか?

このことを著者は『東方蔑視の眼差し』(同書pp. 325-327)において,以下のようにまとめる。

「それではヘレニズムの概念自体を今後どのようにすればいいのか。一つの方法は,この言葉を純粋に時代区分の概念として,価値中立的に用いることである」。

ギリシャ文明が優れていたとか,オリエントは劣っていたとかいう価値判断にヘレニズムという言葉を使うべきではないと主張している。この考え方には,大いに賛同できる。

よって,上記の[1]にあげた要点は,「否」なのである。

一方,{2]の方は容易に「否」である。インドのギリシャ人は,マウリヤ朝によって一掃されているし,クシャナ朝はプトレマイオス朝エジプトが滅んでからである。よくいわれるガンダーラ仏教美術は「ヘレニズム文化の影響」であるということを,著者は明確に否定し,ローマとの交易の影響であるとする(同書 p.328)。

なお,西洋人の間での,西洋優越論は,根深いらしく,以下のような本がある。

この本は読んで,非常に落胆した本である(ブログ過去記事:『人類5万年 文明の興亡〜なぜ西洋が世界を支配しているのかー』を読んだ記録)。なぜ,落胆したかは,過去記事に書いてある。

しかし,今,シリアやイラクや北アフリカで起きている悲劇を思うと,彼の地での古代からの悲劇の数々をも思わずにはいられない。また,悲劇が増え続けていると。

 

「7つの習慣」を極めて批判的に第二部途中まで読んでやめた記録

私は うつ のため休職中である。

半年前まで本を読む気力もなかったが,ある日突然,めんどくさいことが,だいぶできるようになった。

職場とおよび職場の保健師と非定期的に連絡を取っている。だいぶ,体調が改善したので,保健師と「面談」なるものを行った。

その際,気が向いたら「7つの習慣-成功には原則があった!」を読んでみては,どうだであろう,と,推薦を受けた。

Amazonで検索してみると,ビジネス書のベストセラーらしい。

この本,バージョンアップをしているらしく,表紙の違う本もある。

ついでに,ビジネスのノウハウ本らしく,マンガ版である。

私が読んだのは,一番上の版(図書館で借りた)である。読み始めて,ある一節の文章で不愉快になった。本書の重要な箇所である。

「ところで,第一次世界大戦が終わって間もなく,成功について基本的な考え方は,急に人格主義から個性主義に移行した」(同書1996年版, p. 9)。

私は最近,第一次世界大戦の本をまとめ読みしたところである(ブログ過去記事: 第一次世界大戦関連本をまとめ読みした記録 )。

モノゴトを遠くから見ると,不連続に見えることがある。しかし,不連続な箇所は時間的に急激な変化が起きていて,その最中では,連続的である。そして,巨視的な不連続の前の事象が不連続の以後に影響していないかというと,そんなことはない。第一次世界大戦というのは,欧州型帝国主義の崩壊の第一歩(第二歩は第二次世界大戦である)であり,欧州型帝国主義は,今も崩壊途中にある(新・100年予測――ヨーロッパ炎上)。

歴史観の面において,「7つの習慣-成功には原則があった!」に納得いけなくなってしまったら,そのあとは,もう,書いてあることを素直に読み進むことは困難になってしまった。

そして,気になるところに,ポストイットを貼って行ったのである。

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ハリネズミになった『7つの習慣-成功には原則があった!

第二部の「第二の習慣 目的を持って始める」を読んでる最中であった。どう日本語を読むかの問題ではあるのだが,どうしても,「目的を持って」というキーワードが不可解でならなかった。

目的よりも,「動機」の方が重要であろうと思うからだ。原書になんて書いてあるのかが,気になった。仕方ないので,原書を探した。幸いKindle版が安価にあった。

該当部のタイトルを見てると”HABIT 2: Begin with the End in Mind”とある。

”The End in Mind”は「目的を持って』ではないと思う。直訳で「終わりを考えて始めろ」で十分であろうと思う。

実は,『第一の習慣 主体性を発揮する』は”Be Proactive”の和訳である。第一の習慣の本文を読んでいて,本がポストイットでハリネズミ状態になったのであるが,それは,「主体性」という日本語があるためである。ところが,”Be Proactive”と言われたたら,書いてあることは,さほど違和感はない。

ちなみに,proactive:「先のことを考えた,事前に対策を講じる」,という意味の形容詞である。前にBeがつくから,直訳すれば,「先のことを考えろ」くらいになる。

なぜ,”Be Proactive”=『主体性を発揮する』という訳語になるのか,理解できない。

これは,上の第一次世界大戦のくだりに出てくる,「人格主義」と「個性主義」というわけのわからない言葉にも当てはまる。

それぞれ,”Character Ethic”と”Personality Ethic”からの造語和訳である。”Ethic”を辞書で引けば,「倫理,道徳律」となっている。Characterはここでは,「人格」として訳すべきであろうが,ethicに「主義」という重い感はおそらくない。

つまり,翻訳者が,言葉を「重くし過ぎ」である。

そういった,重く訳し過ぎが,本書を通してずうと続く。著者は経営コンサルタントらしいから,あえて,理解し難いように,和書を難しくしたのではないかと,考えてしまいたくなる。

そのため,本書は,原書のまま読むことした。無駄なポストイットを使いたくないためである。

ところで,著者(原書の)は,(おそらくは米国のみの)150年間(たったその期間だけか?)の文献から,成功(success)に関する7つの法則(principle)を導き,それを「7つの習慣 」(The 7 Habits )としたのであるが,それは,7つの原則を連立させることを意味する。

エンジニアの私に7つのPrincipleを連立させろ言われると,「それは解けない問題ですね」となってしまう。原理(Principle)を7つも連立させると以下のようになる。

7つの原理の連立式
簡単化した7つの原理の連立式

これらの式は,連立線形常微分方程式で有るから,その初期条件を与えれば,解を得ることはできる。しかし,初期条件は,無限にあるから,解も無限にある。

これに少しでも非線形性が加われば,解は,解けなくなってしまう。

さらに発展させて,連立非線形偏微分方程式になれば,解があるかさえ,不明になろう。その例が,核融合のためのプラズマの扱いである。

人生に,7つもPrincipleがあったら,どんな解が得られるのか,わかったものではない。つまり,2nd Habitにおいて”Begin Begin with the End in Mind”といわれても,始めてみたら(初期条件を与えたら),そのあとの挙動は,初めに予想したものとは,異なることになる。

そうなると,実験を繰り返すことになる。しかし,少なくとも,日本語版第二部第二の習慣までにおいて,「人生における実験の有効性」に関する記述はない。

あるのは,「いい人になれ」というものばかりである。

そして,「7つの習慣 」(The 7 Habits )をとても批判的に読まざるを得ない最大に理由は,本書の前半に「成功の定義」が全く記載されていないことである。

「人生における成功」とは何かを「定義」もしくは「明示」されなければ,以降のどんな議論も「原則」(principle)と呼んでよいものか判断がつかない。

定義がないことから,合理的な原則は導き出し得ないからである。なぜなら,定義が変わったら,原則は変わるからである。

ただし,定義がなくとも,「原則のようなモノ」を導く方法がないことはない。それは,「宗教」である。「宗教」の「論理性=神学」は「後付け」でよいからだ。

この本は,合理的な原則ではなく,「非合理な原則」を列挙しているように感じられる。

 

「人類文明の黎明と暮れ方 (興亡の世界史)」を読んだ記録

人類文明の黎明と暮れ方 (興亡の世界史),青柳正規著,講談社」 という本を,10日ほどかけて読んだ。

 

人類文明の黎明と暮れ方 (興亡の世界史)

古代文明を最新の知見を基に解説している本であり,10日という短期間ではなく,もっとじっくりと読むべき本である。

高校の世界史教科書(詳説世界史B 81 世B 304 文部科学省検定済教科書 高等学校 地理歴史科用
, 2015/3)において63頁しか割り当てられていない内容について,349頁も書いてあるのであるから。

著者は古代ローマ遺跡を専門とする「考古学者」である。そのためであろうか,記述は,とても具体的である。

しかし,本書の主張は,「序章 文明史を学ぶということ」と「おわりに 文明が滅びるとき」に集約されているから,途中をある意味乱暴に読み飛ばしても,おおよそのことは理解できる。

著者の現代文明への主張は,辛辣である。一部を引用する。

・序章から:

『思えば日本も少年たちが「鉄腕アトム」に夢中になっていた時代,人々は将来に明るい未来像を描いていた。「鉄腕アトム」は,科学技術がもたらすバラ色の将来の象徴であった。しかし今,あのような明るい未来を描く漫画もアニメも映画も見あたらない。たかが漫画,アニメと軽くみないほうがいい。これらの大衆文化は,その時代その時代の空気を的確にとらえ,近未来をいい当てているいることが多いからである。』(p. 21)。

『経済成長率三パーセントを維持しなければならないなどと経済学者や政治家は主張している。日本の三パーセントとは,九000万近い人口を擁するフィリピン全体を一つ,丸々生み出すことである。アメリカの三パーセントはフィリピンを二つ半個の地球に新たに負担させることであり,その膨張,拡大,過重な負担を毎年この地球に要求しようというのである。』(p. 34)。

『豊かさをどこまでも追求していくと人類は自分たちの首をみずから絞めることになるということである。というよりも,なお経済ボリュームを増大させる経済学者に耳を傾けるのであれば,すでにかなりの圧力で首を絞め始めているのである』(p. 35)。

『「心地よい停滞」を是とするには,経済成長率がゼロもしくなマイナスでもどうにかやっていける社会的な仕組みを作り直さなければならない。現在のしくみが一定の成長拡大を前提をしているからである。経済が縮小の傾向に入っても,質の向上と満足度の増大を数値化できないときは言葉で,さまざまなメディアを通して訴え,多くの人々の合意を形成することが大切である。」(p. 38)。

・おわりに :日本文明がかかえる弱点

『(前略)ことに最近は強迫観念のように清潔信奉が広がり,公園の砂場で幼い子供を遊ばせない親も増えているという事態にまで生じているという。

これは過保護を超えた愚行としかいいようがない。なぜなら,幼い子にとって,砂遊びは健康体をつくるうえで欠かせないからである。生まれたばかりの幼児が最初に免疫力をつけるのは母親の母乳によってであり,そのもう一段上の免疫りょくをつけるために欠かせないのが砂遊びである。それを「汚い」という理由で排除してしまうのは,強い生命体になることを拒否していることに等しい。』(p. 356)。

すべてにわたって,同感である。特に,経済成長を前提としない社会を必要とする,著者の観点には大いに共感する。

本書をAmazonにおいて検索すると,残念なことに文庫版はまだのようである。著者には,大変申し訳ないが,私は図書館で借りて読んだ。